文科省の教員勤務実態調査(令和5年)で、通常期に1週間の総在校等時間が50時間以上の教諭の割合は、小学校64.5%、中学校77.1%、公立中学校で月80時間以上のいわゆる過労死ラインを超えて働く教諭の割合は約37%にのぼることがわかったそうです。
そんなことは現場の人間はみんなわかっています。今更何を言っているのでしょう。何回同じ調査結果を出しているのでしょう。なぜ改善しないのでしょう。
記事が長いので、目次から興味のある見出しに跳んで読んでくださいね。
もちろん順に読んでいただいても良いです。
先生の忙しさは改善できるのか?
なぜ先生は忙しいのでしょうか?
理由はわかりきっています。「人員が少ない割にやらなければならない仕事が多いから」それだけです。
効率的に時間を使いましょう、不要な業務は減らしましょう、と管理職は言いますが、絶対無理です。不要な業務を探したところで減らせることは微々たるものです。
教科の授業時間数は決まっていて勝手に減らせないし、昨年までやっていた行事を簡単になくすこともできず(これは学校長が決断すればできますが、決断できない校長が多いようです)、その上文科省が新しい何かを「これもやりなさい」と投下してくるので仕事は増える一方です。
支援員を増やす?
サポートする人を雇いましょう、という取り組みは多くの地域であると思いますし、そういう方向性を文科省も打ち出しています。
しかしわずかな時給やボランティアで短時間来てもらっても、その人たちにできる仕事は限られます。先生の仕事は先生だからできることが大半ですから。
もちろんそういう方がいないよりはずっと助かりますが、それより教員数の基準を変えて教員を増やしてほしいです。
ただ全国の小中学校の数はとても多いですから、そのすべてに正規の教員が1人以上増えたらかなりの人件費がかかります。
これからの日本の教育を真剣に考えるなら安いものだと思いますが、文科省はそう思ってはいなさそうです。
学校の活動を減らして子どもを早く帰す?
人を増やせないなら学校の活動を減らして生徒に早く下校してもらうことが必要です。生徒の下校が先生の勤務時間より遅いのでは、残業するなという方が無理です。
生徒が毎日午後3時くらいに下校してくれれば、その後2時間くらい仕事ができますから、次の日の授業の準備や行事の計画などの仕事を勤務時間内に終わらせることができるでしょう。
けれど、児童生徒が毎日3時に学校を出て帰宅すると、両親とも働いている家庭は困るかもしれません。経済的に困窮している家庭では、子どもが長時間学校にいるおかげで両親とも働くことができて助かっているという状況もあるでしょう。
経済力のある家庭では子どもが早く帰宅するなら塾や習い事に行かせるでしょうが、経済力のない家庭の子どもは遊んでいて教育の格差が広がるという懸念もあります。
皆さんあまり言われませんが、日本では家庭教育の弱さを学校教育で補っている面があると思います。普通に考えると親が躾けるべきことでも、学校が指導していることがあります。(挨拶、手洗い、身だしなみ、食育、清掃などなど)
子どもは家庭に任せれば良いと口で言うのは簡単ですが、教育力の弱い家庭の子が学校で問題を起こせば学校の先生たちも苦労するわけですから、親に任せればすべて解決、とはなりません。
人件費をたっぷり使って教員の数を増やし、今までと同じ質の学校教育を維持しつつ教員の残業を減らすことがベストな方向だと思います。政府はお金を出してください。それをしない限り先生の忙しさは解消しないと思います。
それにしても先生の仕事はなぜこんなにも忙しいのでしょう。その原因について私見を述べます。(あくまでも私見なので、違うんじゃない?と思われる点はあるかもしれません)
学校規模の縮小
世の中の人は意外と意識していませんが、学校規模が小さくなると先生は忙しくなります。
先生の人数は生徒の人数(学級の数)によって決まりますから、小さい学校は先生の数が少ないです。生徒が少ないのだから当たり前だと思うかもしれませんが、先生の人数が少ないと先生は忙しくなります。
教科の先生の人数が少ないと大変
中学校は教科担任制ですが、各学年5クラスくらいの学校だと国語の先生が最低でも4人はいます。
そうすると定期テストを作るとき、3学年分を1人ずつで分担すると3人が作ればいいので「今回は作らない先生」が1人いることになります。しかし先生の人数が少なく、国語の先生が3人しかいない場合は毎回3人ともテストを作ることになります。
国語は授業数が多い教科なので各学年3クラスくらいの学校でも、国語の先生は大抵3人くらいいますが、社会や理科は2人しかいないという学校があります。そうなると1人の先生が2学年分のテストを作ることになります。2学年分のテストを作るのはとても大変です。
先生の人数が少ないと部活も大変
中学校には部活動があります。大きい学校は部活の数が多く、小さい学校は部活の数が少ないですが、その数の差はわずかです。
大きい学校と小さい学校では先生の人数が倍くらい違うこともありますが、部活の数の差はそこまでありません。ですから、大きい学校は部活の顧問を2人か3人割り当てますが、小さい学校は1人もしくは2人しか割り当てられないことになります。
1~3人の差は数字としては小さいですが、仕事量の差はとても大きいです。部活動の指導を1人でやるとしたら、毎回1人で見なければいけなくなりますが、顧問が3人いたら3回に1回と分担することができます。
練習計画を作って生徒に配布することや試合のエントリーの書類を作るなどの事務仕事もあるので、練習の指導は2人の顧問がやって、事務的なことは1人の顧問がやる、というような分担もできます。顧問が1人だと練習の指導も事務仕事も1人でやらなければならなくなります。
先生の人数が少ないとあらゆる仕事が大変
他にも、生徒会は大抵の中学校にあると思いますが、生徒会長をはじめとする役員会、議会、専門委員会(美化委員会とか給食委員会とか)の顧問の仕事も、先生が多ければ複数で担当できますが、先生が少なければ1人で担当することになります。
運動会や宿泊学習などの行事も先生たちは分担して仕事をしますが、小さい学校の先生は人数が少ない分1人当たりの仕事量が多くなります。小さい学校だから運動会の種目を減らして時間も短くしましょう、とはいかないです。
(こうして書きながら、行事が大変ならなくせばいいのでは?と思いましたが、それがまた難しいのですよ。)
このように小さい学校は大きい学校よりも、すべてにおいて先生1人当たりの仕事量が増えます。今は少子化で、大きい学校が減り小さい学校は増えていますから、先生方の仕事は全体的に増えていることになります。
もし多少でも仕事が楽だと良いと思う先生は、大きい学校に異動希望を出すと良いです。逆に責任のある仕事をやってみたい先生は小さい学校を希望すると良いです。
私が学年主任、進路指導主事、生徒会担当などの大変な仕事をしたのは、各学年3クラスという規模の学校にいたときでした。先生の人数が少ないと子持ちのおばちゃん教師にもそういう仕事が回ってくるのです。
まあ、異動希望なんて出しても希望が通るかどうかはわかりませんけど、良かったら参考にしてみてください。
評価
大昔は評価はテストだけでやっていたと思います。中学校なら5教科は中間テストや期末テスト、実技教科は実技テストで評価していたでしょう。
でもテストだけで評価するのは知識の偏重になると言われるようになりました。授業中に寝ていても私語をして授業の邪魔をしても、テストで点数が取れれば良いという考えの生徒が出てくるようにもなりました。
そうした実態の変化もあり、学習に向かう態度や意欲も評価しなければいけない、という考えになったのだと思います。今の評価方法が先生の仕事を増やしています。具体的に書いていきますが、私は中学校国語教師だったので、国語の例が多いことは許してください。
多面的な評価は手間がかかる
態度や意欲を評価するという考え自体は良いことです。
しかし、そうした多面的な評価をするためには、毎時間の授業の姿勢(ノートに考えを書けたか、進んで発言したか、ワークやプリントをきちんとやったか、など)を教師がチェックし、記録しておかなければなりません。
成績を付けるときは記録したものを数値化して並べ、5段階に割り振る作業が必要になります。
評価は絶対評価で行いますが、いくらできている子が多いからと言って全員5や4にしてしまうと、中学校の場合入試の調査書(内申書)を作るときに困ります。だから5から1までの人数の割合はそれなりに意識して付けます。
評価の記録を数値化したものを降順に並べるのはExcelで簡単にできますが、ノートやプリントを集めてチェックし、評価を数値化して入力するのは先生がするのですから結構な手間です。
国語のノート評価は大変
ノートの評価はABCの評価基準を決めるのにまず頭を使います。絶対評価ではありますが、差が付けられるように基準を決めないと評価できないので、苦労しつつ基準を決めます。
国語のノートは文章で書いてあるので読むのに時間がかかりますし、AにすべきかBにすべきか迷うノートも出てくるので、基準を確かめるために前に見たノートをもう一度見返すこともあって、更に時間がかかります。
1クラスの人数が多過ぎるという話題が出てくるとき、世の中の人は狭い教室にびっしり机が並んで窮屈な様子や、先生の目が届かないことや、一人一人に対応する時間を取れないことなどを思い浮かべるかもしれませんが、私が真っ先に思い浮かべるのは評価の大変さです。
ノートを評価するときもテストの採点をするときも、32人のクラスと40人のクラスではかかる時間が違います。
正直に言うと、ノートを何回集めてもAを取れる子とBを取れる子はそんなに変わりません。Aを取れる子はいつもAにふさわしいノートを書きますし、Bを取る子は大抵それなりのノートです。
それでもノートを評価することは意味があると感じていました。この先生はノートを評価するとわかると、その子なりに一生懸命ノートを書くからです。
文章を書くことは考えることです。本人は成績を上げたくて書いていると思いますが、考えることの積み上げはその子の力を高めると思います。
そう信じてノートを集めますが、集めるたびに山のようなノートにうんざりします。でも次回の授業までに見てあげなきゃ、と思って残業することになります。
国語のテストの採点は大変
テストの採点も特に国語は時間がかかります。文章を評価するのは時間がかかるのです。
最近は社会や理科の先生もテストで何問かは記述で答える問題にしているようですが、「記述問題を採点するたびに国語の先生は大変だなと思いますよ」と言っていただけます。
このように「記述で答える問題」を入れるのも、知識だけでなく思考力や考え方を評価するためです。
高校には試験休みというものがありますよね。なぜ中学校にはないのでしょう。生徒がいない平日に採点や成績付けができるとしたら非常に羨ましいです。中学校なんてテストの次の日、酷いときは期末テスト2日目の午後は授業です。
国語以外の教科の先生は試験当日に残業して採点を終えるようですが、国語の採点は休日を使わないと終わらないので大抵土日に昼ご飯を持って出勤して採点していました。
若い頃は家に持ち帰って採点していましたが、そんな大切なものを持ち帰るのは恐ろしいので段々やらなくなりました。たとえ残業時間が増えても学校でやるようにしていました。
教科以外の評価
昔は国語の評価しかしていなかったのですが、総合学習をやるようになり、それも評価せよと言われるようになりました。5段階評価は難しいので通知表に所見を書けと言われます。……手間なんですけど!と言いたいです。
そして道徳も教科になったので道徳の評価もせよと言われます。5段階評価は難しいので通知表に所見を書けと言われます。……手間なんです!
そうやってあれもこれもと教員の仕事は増えます。減ることはほぼありません。
部活動
部活動については随分前から問題視されていて地域移行が進んでいる自治体もあるように見えます。
しかし中学校の先生が完全に部活から解放されるのは、今のところは難しいと思います。指導者の確保と中体連大会の運営という課題があるからです。
部活の指導を地域に移行できるのか?
まず部活には指導者が必要です。文科省は社会人指導者の活用と簡単に言いますが、微々たる報酬でコーチの仕事を引き受けてくれる人が地域に必ずいるとは限りません。
地域の方がコーチとして来てくれることになったとしても、仕事を持っている人だと土日の練習は見られますが、平日の放課後までは来られないので、平日の練習を見るのは顧問の先生になります。
コーチは仕事の都合で土日の練習を見られない日もあるでしょう。そういう日は部活は休みにすればいいのですが、試合が近い時期だとそうもいかないこともあるでしょう。そういうときはやはり顧問の先生が部活を指導することになります。
それから、これは案外あることですが、コーチに対して生徒や保護者から不満が起きたときは、顧問の先生が仲介役にならざるを得ないです。
コーチの中には中学生の指導に慣れていない方もいますし、昔かたぎで生徒に厳しくしすぎる方もいます。試合に出す子の選抜方法に不満を持つ生徒や保護者がいて(そこはコーチの言うことを聞いてほしいものですが)、顧問が板挟みになったりもします。
コーチを解任せざるを得なくなると、新しいコーチを見つけるのは一苦労です。
とはいえ何もかも顧問の先生がやるよりはコーチがいた方が、顧問の先生は楽になります。コーチが生徒の指導の面で頼りになり、部活の運営面でも保護者会と上手く連携を取ってくれて、顧問の仕事が少ない部に当たった先生はラッキーです。
でもまだ顧問の先生の負担が大きい部も珍しくないです。
部活が大好きな先生も時々いて熱心に部活指導をします。生徒にとっては幸せなことですが、教員は転任しますからその先生が去った後が大変です。
後釜に入る先生がいない、もしくは後釜にされた人が「前の先生みたいにやってほしい」と言われて苦労することになります。
大会の運営は誰がやる?
社会人指導者が有能なら、顧問の先生は名前だけで全然部活の仕事をしなくて済むかと言えばそうではないです。
地域や競技によって違いがあるかもしれませんが、公式試合は教員の引率が参加条件になっている場合が多いです。
それに中体連の試合の運営は、各学校の顧問によって組織された大会役員会によって行われますから、郡市大会や地区大会では顧問のうち最低1人は大会役員としての仕事をすることになります。
大会は夏休みや土日を使って行われますから、中学校の先生たちの負担になります。強くて勝ち残る部の顧問になった先生は、試合に向けての練習と大会で休みがありません。
社会人指導者が素晴らしい人で部活保護者会が優秀であっても、先生が部活顧問の仕事をしなくてよくなるということは、今のところありません。
部活動はどうあるべきか
部活動という制度自体をすべてなくせば良いと思いますが、長年の間存在していた制度なので、簡単にはなくせない気がします。
部活動は中学生が気軽にスポーツに取り組める活動として親しまれてきたものです。私も中学生のときに経験しています。ただ、私が中学生の頃には部活はほとんど生徒の自主活動で、練習を指導する顧問はかなり熱心な先生だけでした。
部員数は各学年20名ずつくらい、全体で60名はいたと思いますが、毎回全員揃うということはなく(練習場所が狭いので全員揃うとむしろ困る)、やる気のある部員だけが試合に出ていました。
今は怪我や体調不良の生徒がいたときに顧問がいないと問題になりますから、顧問は必ず練習に付きます。顧問が毎回いると生徒も顧問を頼りにします。練習の指示も顧問が出すことになります。
部員数も少ない場合が多く、無断で休む部員がいると練習や試合ができなくなるので、無断欠席する子に顧問が声をかけます。部員同士でトラブルがあれば仲介や指導をします。
そんなふうなので部の顧問は、部活というクラスを一つ持っているような状態になります。それはただでさえ忙しい教員にとって大きな負担です。
生徒の自主活動だった昔の部活と今の部活は状況が違います。何とかして先生の負担を減らさなければなりません。
部活動の地域移行をするには指導者の確保と大会の運営という問題がありますが、それでも進めていかなければいけないと思います。
総合学習
先生の仕事が忙しくなった原因の一つに総合学習があると思います。
総合学習の導入
総合学習はゆとり教育(1980年度から2010年代初期)の時代に導入されました。
もう1つ選択教科というものもありました。あれは思い出すのもうんざりですが、ゆとり教育が終了し、普通教科の時間数が増えたことに伴って廃止されました。
文科省の人は選択教科や総合学習によって学力が向上すると考えていたようですが、現場の先生たちはそれはない、と思っていたと思います。
これらを導入するために普通の教科の時間数を削りました。それによって学力の低下を招いたと言われています。
この時期に小中学生だった人たちが、大人になってからゆとり世代と呼ばれたことはご存知の方も多いでしょう。競争意識が低く指示待ちと言われました。とはいえゆとり世代の皆さんも今は立派な社会人です。結局あれは何だったのでしょうかね。
選択教科も総合学習も各学校独自で工夫せよと言われました。当時の先生たちも暇ではないので、これらをどうやって行うか、教務主任を中心に長時間の残業をして案を作ったと思います。(私は教務主任じゃなかったので他人事で申し訳ないです。)
先生たちが苦労して取り組んだ(というか取り組まされた)選択教科や総合学習によって、学力が低下する結果になったわけで、骨折り損のくたびれ儲けもいいところです。それなのに文科省の誰かが責任を取ったとか謝ったという話は聞いたことがありません。
総合学習どうしてますか?
総合学習は各学校の創意工夫で行う新しい教科でしたが、あまり特殊なことは無理なので、私が経験した学校ではこれまで行ってきた行事と絡めた学習にしていました。
例えば中学校2年生は進路学習として職業について学び、職場体験や職場見学を行っていたので、2年生の総合学習は「職業について知る」をテーマにする学校が多かったです。
それまで行ってきた宿泊学習にも、「職業について知る」という内容を取り入れて行うようになりました。宿泊先で職業についての講話を聞くなどしてテーマ学習を行いました。
総合学習の時間は各学年で考えた計画によって行うので、その計画を担当する先生が必要になりました。行事と絡めた内容にしたので学年主任が総合学習に関わることが多かったです。
学校規模が大きく先生の人数も多かった頃は、学年主任というのは年齢の高い先生がなる、比較的楽な仕事だというイメージ(あくまでも私個人のイメージです!)でした。
しかし学校規模が小さくなり、総合学習が導入されてからはかなり忙しい分掌(役割)になったと感じます。
総合学習のテーマは様々ありましたが、職業学習以外にも、地域学習、平和学習、環境学習、社会奉仕(ボランティア)など、学校独自のテーマを設定し年間の計画を立てて進めることになりました。
何事もそうですが、新しいことを始めるのは非常に手間暇がかかります。それまでやってきた教科の授業や特別活動に総合学習がプラスされたのです。忙しくなるに決まっていますよね。
総合学習は準備が大変
総合学習は体験や生徒の自主的な活動を重視しますから、これまでやってきた行事をテーマに沿った体験として練り直したり、新たな体験学習を付け加えたりしました。
具体的に言うと、校外学習を計画、実施する、テーマに関わるビデオを探してきて見せる、テーマについて話をしてくれる講師を頼んで講話を聞く、生徒に個人やグループの小テーマを決めて調べさせ、発表させる、といった活動を準備しました。
調べ学習のためにパソコン室や図書室を割り当てる(これは個人でタブレットを使えるようになってから楽になりました)、総合学習のための学習プリントを作る、などの仕事も加わりました。
総合学習は生徒も楽しんでやっている場面も多いのでやりがいはあります。でもこれのために先生たちが忙しくなったのは100%事実です。
総合学習の今
ゆとり教育が見直されたときに選択教科はなくなりましたが総合学習は残りました。そのとき総合学習の時間も減ったので、どの学校も授業計画を見直し、変更したはずです。
時間が減った分縮小はしたと思いますが、テーマや内容は大きく変わっていないでしょう。準備が大変なのは相変わらずだと思います。
ということで、総合学習は今も教員の残業が増える原因の一つとして存在し続けています。
担任の仕事
学級担任を持つということは責任も仕事も負うことになります。小中学校の先生といえば学級担任の先生が多数派です。
今回はそんな担任の仕事の忙しさについて書きます。
フリーの頃
私は出産の前後に中学校のフリー(担任じゃない先生)を経験しました。そのときは若かったし、大きい学校にいたこともあり、特に忙しい役割を与えられることもないただのフリーでした。
フリーだと道徳・学活の授業がないのでその分教科の授業時間が多くなりますが、給食を教室で食べなくていいし、朝と帰りの短学活に行かなくていいので楽です。
国語の授業を毎日5時間くらいやっていたので疲れますが、授業の準備を国語だけしていればいい、というのは精神的にも時間的にも楽でした。自分の子供が小さいときにこの立場でいられたのはありがたかったです。
ただ気持ち的に若干の疎外感はありました。担任の先生たちがクラスの生徒のために忙しく働き、学年の担任同士で次の日の学活をどう進めるかについて意見を交流している姿を横目で見ながら、自分の子が小さいんだからしかたないと思いつつ退勤するのは少し寂しかったです。
とはいえそのときの自分と担任をしていた自分を比べると、忙しさの差が半端ないなと思います。担任をしているときは考えることが常に山ほどあって、何かをおろそかにすると大変なことになりそうな怖さがありました。
担任だった頃
担任としての1日をざっくり書いてみます。
朝:今日1日のやることの確認。(朝の短学活で生徒に連絡することや集める提出物はないか、授業準備に抜けがないか等。)1日の確認を朝したいので部活の朝練を見るのはつらかった。7時20分には出勤していた。
朝読書:これは実施する学校としない学校があったけれど、しばし落ち着ける時間。
朝の短学活:出欠確認と健康観察。(あらかじめ欠席連絡を貰っていれば良いが、連絡なしだと短学活後に確認しないといけない。短学活中に連絡があれば良いがなければ保護者に電話で確認)
提出物集め。生活の記録(ちょっとした日記)と自主学習ノートというものを毎日集める学校が多かった。プラスPTA関係の書類等があれば集める。
先生の話。(連絡事項があれば伝える。最近のクラスの様子に関わってめあてや注意などを話す。)
普通に教科の授業。
空き時間:生活の記録(日記)に目を通し、一人一人コメントを書く。自主学習ノートを見て検印を押す。(これだけで空き時間1時間くらい使う。空き時間が2コマある日はその時間に翌日の準備ができるが、様々なことで潰れることが多い。)
給食:配膳を見届けて一緒に食べる。昼休みも給食の片付けを見届け。
掃除:生徒と一緒に掃除をする。
道徳・学活・総合学習の授業。
帰りの短学活:私が勤務した学校は生徒の合唱で始まることが多かった。生徒の係(教科係、班長、学級委員)による振り返り。先生の話。(連絡と生徒の良い姿を褒める話をする。)
部活動。先生たちの会議がある日は部活なし。
生徒下校後:明日以降の準備(教科の授業、道徳・学活・総合、公務分掌の提案)等の仕事をする。
振り返って思うこと
退勤時刻は日によって違いますが、私の場合は19時台に退勤することが多かったです。ひと月の残業時間は部活も合わせて50時間~70時間くらいでした。
「担任としての1日」の中には書いていませんが、生徒に問題行動があったときや不登校生徒への対応がプラスされる日も時々ありました。
成績処理(定期テストの採点→成績を付ける→通知表の所見を書く)をする時期、運動会や宿泊行事などの時期は仕事量が増えます。
自分なりに仕事をちゃんとするためには残業は絶対に必要でした。精神的肉体的にオーバーフローしないギリギリでやっていた感があります。おそらくこれは世の中のほとんどの中学校の担任の状況であり、人によってはもっと大変だと思います。
その仕事はやめていいんじゃない?と思う内容もおそらくあると思いますが、「子どもたちのため」を考えたらやめられないのが現状です。
残業せずに仕事をするためには、仕事を減らすか、人員を増やして一人当たりの仕事が減るようにするしかないです。
しかし、仕事も減らず人員も増えず、教員の仕事はブラックだということが世の中に広まりました。心を病んで休職や退職をする教員が増え、教員の志望者は減り、教員が不足する事態になっています。
学年主任の仕事
私は担任をしていた年が長く、学年主任をしていた年は短いので、担任の立場でたくさんの学年主任に出会いました。学年主任というのは色々なタイプの人がいます。
学年主任のタイプ
頼りになる人、ならない人、その中間。
自らバリバリ働く人、担任に仕事を振って自分は働かない人、その中間。
担任にプレッシャーを与える人、与えない人、その中間。など
担任から見て理想的なのは、頼りになり、自らバリバリ働き、担任にはプレッシャーを与えない人ですね。
私が学年主任をやったときは理想的な学年主任になりたいと思いながらやりました。私が担任だったときに理想的だと感じた学年主任がいたので、その人をイメージしながら仕事をしたつもりです。
学年の週報
私が手本にしていた学年主任は毎週学年の週報を作って学年の先生に配っていたので、私も見習いました。学年の週報には次のようなことを書きました。
・今週意識してほしいこと。
・毎日の予定(教務主任が出す週報を学年向けに詳しくした内容)
・道徳、学活、総合の内容(道徳はどの資料を行うか、学活・総合は授業の内容と簡単な流れ。使うプリントを私が作ることも多かったので、プリントがあればそのことも明記しました。)
・今週の提出物(生徒から集めるもの、教師が担当教師に提出するもの)
これがあると各クラスの足並みが揃って差がなくなりますし、担任も楽です。
学年通信
私が手本にしていた学年主任は学年通信も毎週出していましたが、私はそんなに出しませんでした。言い訳になりますが、通信を毎週出そうと思うと生徒が生活や行事について書いた作文を載せないと紙面が埋まりません。
そうすると担任の先生に生徒の作文(短いもので良いのですが)を頼むことになります。それは担任の負担になるのでやりませんでした。結果として月予定や行事の様子を紹介する通信を、必要なときだけ出していました。
運営委員会(学校によって名称や内容は多分違う)
学年主任は週初めに行われる運営委員会に出ます。校長、教頭、教務、生徒指導主事、3学年の主任が集まりました。担任だったときはこの会のことをあまり意識していませんでしたが、学年主任になってみるとなかなかに重要な会議だとわかりました。
まず教務主任が今週の予定を確認します。次に学年主任が各学年の先週の様子と今週の予定を話します。学年で起きた生徒指導上の問題とそれに対する対処、要支援生徒の現状などを報告し、今週の学年の行事や動きについて共有したいことを話します。
3学年の主任が話した後、生徒指導→教頭→校長の順に、アドバイスや学校としての方針を話して終了です。
簡単に済ませればすぐに終わる内容ですが、簡単に終わったことはなかったです。自分も含めて学年主任の話が長いのです。
各学年とも一週間には色々なことが起こります。軽いいじめはすぐに解決しますが頻繁に起きます。どういうことが起きて、どのように指導し、どのように保護者に伝えたかを報告します。
不登校の生徒はほとんどのクラスにいたので、一人一人の様子、担任の指導、親からの要望など、具体的に報告します。
他にもけがをした、喧嘩があった、○○という生徒が~という悩みを担任に相談してきたので心配している等、たくさん報告します。
各学年主任の報告を聞きながら全員がすごくメモを取ります。こうして運営委員会の先生たちが各学年の様子を知り、情報を共有できていることが安心感になるので、たくさん喋らずにはいられませんでした。
運営委員会の先生方から指導の方向性についてアドバイスや労いの言葉を貰えることも、ありがたかったです。
運営委員会で報告ができるように、担任の先生に生徒の様子を色々聞くようにしていましたが、担任も生徒の様子を学年主任に知っていてほしい気持ちがあるのだと思います。詳しく話してくれました。
もちろん必要なときには生徒の指導にも協力しました。担任を助けるのが学年主任の仕事だと思いますので。
日常的な仕事
私が学年主任だったときは、学年行事の計画や総合学習の計画、学級委員の指導なども行っていました。
大きい学校だと担任の人数が多いので、総合学習や学級委員の指導は担任の誰かがやることもありますが、小さい学校だと担任も何らかの校務分掌を持っているので、学年主任がやることが多いと思います。
学年の複数クラスに渡る、突発的な生徒指導案件が起きれば学年主任が指導の中心になります。担任が出張や体調不良で不在のときは、担任の代わりに短学活、給食指導等をします。
最後に
というわけで学年主任も非常に忙しいです。担任だったときにも残業はたくさんしていましたが、学年主任だったときも同じくらいかもっとたくさん残業をしていました。
私が学年主任だったとき、家庭の事情で欠勤がやや多い担任がいました。私が代わりにそのクラスに行く回数は多かったです。他の学年の担任が長期の休職になり、その間その学年の主任が担任をする、というケースも見ました。
今全国的に教員の休職や退職が多く代わりの教員も見つからない、という実態があります。教員の仕事は既に非常に忙しいので、更に忙しくなるというのは大問題です。
文科相が名案がないと言ったそうですが、財務省から財源をもらって教員の給料を上げれば教員志望者は増えます。人員を増やして仕事が楽になれば更に志望者は増えます。名案がないのではなくやる気がないのです。
忙しさの改善
先生の仕事は本当に忙しいですね。私が思う改善方法を書きますのでヒントにしてください。
本当は先生の人数を大幅に増やして、一人当たりの授業を少なくしてゆとりを持たせるのが一番良いとは思っていますけどね。
無駄をなくしましょう
「無駄」という言葉は違うのかもしれません。先生たちがやっていることはすべて、子どもたちのためのことなので、それを「無駄」と言うのは違うでしょう。
でも先生の負担が大きい割に、そこまで子どものためになっているのか?と思うことは多々あると思います。ここではあえてそれを「無駄」と言わせてもらいます。
研究・研修の縮小
先生の資質の向上は子どものためになることです。けれど先生たちがやっている研究や研修は必ずしも資質の向上につながっていません。
いや、資質の向上につながっていないわけではないですが、効率が悪すぎると思います。
先生方は経験も能力も違うし、今、力を入れたいことも人それぞれ違います。それなのに校内研究では「今年はこれをテーマにして」「研究会は何回で」「これについての提案を全員しましょう」「全校研究会の授業は〇〇先生、お願いします」と、全員そろって計画に沿って行います。
私はそれやりたくないです!私には大して役に立ちません!これについて勉強したいです!と言いたくても、とにかく全校統一して何か研究しないとだめ、ということになっています。
先生たちがみんな暇なら、そういう自分にとって役に立つか立たないかわからない研究もありだと思いますが、全員忙しくて明日の準備でヒイヒイ言っているのに、なぜやるのでしょう。
研究・研修については言いたいことが色々あるので別の記事(研修のあり方を考えるhttps://nina-kyoiku-blog.com/kensyugimu)も書きました。本当に必要なのか、誰にとっても役に立つのか、という観点で廃止、縮小するべきものだと思います。
行事の縮小
子どもたちは生き生きと行事を行います。その姿は素敵です。でも無理して周りに合わせている子だっているし、なくしたり縮小したりしても、それほど効果が変わらないものも多いと思います。
運動会:午前中にやって給食を食べて、片付けをして振り返りの作文を書いて早めに下校で良いでしょう。(平日実施想定なので給食を食べましたが、休日にやるなら午前で終わって下校が良いと思います。)午前中に終わる種目なら練習も少なくて済みます。
宿泊行事:なくしましょう。なぜ早朝から夜中まで先生を働かせることがまかり通るのでしょうか。子どもの思い出作りなら、お小遣いを持たせて街かテーマパークで班別行動をさせれば日帰りでも十分です。総合学習の一環であるなら、遠くに行かなくてもできることをすればいいです。
合唱発表会等、クラスごとに発表する会:練習期間を短くする、クラスの順位を決めない、各クラスの良さを見つけてその場で書かせてそれぞれのクラスに渡す、くらいの内容で行うとお互いの負担も少なく、楽しくできると思います。
家庭訪問:なくしましょう。私はこれがなくなった学校を経験しました。学校長がPTA役員に恐る恐る諮ったら「ぜひ廃止してください。廃止してほしいと思っていたんです。」と言われたそうです。
家を見られるのは恥ずかしいと感じている親や子も中にはいます。何かあってどうしても家庭訪問が必要なときは、自家用車のナビや地図を頼りに行けばいいです。前もって全員の家に行って確認する必要はありません。
その他の日常的なことの廃止、改善
日記を書かせること:生活の記録(予定帳)等に短い日記を書かせて集め、担任が読んでコメントを書くことをしている学校も多いと思いますが、手間がかかる割に大して利点がないです。やめても問題ないでしょう。
掃除:15分の学校と10分の学校を経験したことがありますが、10分が圧倒的に良いです。集中してできます。掃除場所を変えずに固定(前期班の間ずっと同じ場所、後期に班替えしたらまたずっと同じ場所)したことがありましたが、全然問題なかったです。
掃除場所が変わるとやり方が定着するまでが大変なので変えない方がいいです。不公平だと思われるかもしれませんが、1年生からそのやり方なら子どもにとってそれが普通になります。子どもがその掃除場所のスペシャリストになれば効率的な掃除ができます。
部活動:平日の部活をなくし、土日は社会人指導者に任せましょう。
通知表の所見:なくしましょう。三者懇談をやっているならそこで話せばいいですし、どうしても必要なら電話等でお話しします、ということにすればいいです。
不登校生徒のニーズに合ったサポート:不登校の子には個別のフォローが必要ですが、学校の先生は仕事が多くて手が回らなくなりがちです。
相談員が平日の日中にいてくれる学校は多いと思いますが、放課後登校した子に勉強を教える、フリースクールのような場所を増やす、といったサポートがあると良いと思います。
いろいろ書きました。探せばもっとあると思ったので別の記事も書きました。それも読んでください。(教員の働き方改革https://nina-kyoiku-blog.com/kaikakususumanai)
簡単にはいかないかもしれませんが、先生方(特に管理職)が決断すればできることもあるはずです。先生たちの仕事に少しでもゆとりができるように努力していきましょう。
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