先生は忙しいです。
けれど研修の機会を持って資質の向上に努めなければなりません。それは当然のことです。教師一人一人の力量を高めることは、子どものためにも先生自身のためにも大切なことです。
しかし先生たちは忙しいのだから、研修も効率的で実のあるものであってほしいです。時間を取られる割に役に立たない研修はいりません。無駄な時間を使うくらいなら、その分自分の仕事をして早く帰った方がいいです。
果たして研修は必要なのでしょうか。
記事が長いので、目次から興味のある見出しに跳んでください。
もちろん順に読んでいただいても良いです。
研修は義務なのか?
まずは教育現場で普通に行われている研修について考えます。
教育委員会主催の研修
これを言うと怒られそうですが、教育委員会の皆さんが用意してくださる研修の中にも、時間の無駄と感じるものがあります。
そういう研修にも定員を設けて、定員を満たすために各学校から1名以上を必ず出してくださいなどと言われることがあります。強制しないと集まらないような研修をなぜやるのでしょう。
そんな研修に参加するために、先生は自分の授業を自習にし、自習監督を空き時間の先生に頼んで研修会に行かなければなりません。
生徒にとってはたまには自習も嬉しいでしょうけど、先生からすると授業の進度の遅れが気になりますし、生徒が真面目に自習をするようにプリント等を用意するのもひと手間です。
そのプリントを生徒がちゃんとやったかを後で確認することもひと手間です。貴重な空き時間に自習監督をしてもらう先生にも申し訳ないです。
そうやって参加した研修が必ずしも内容の充実した、明日から役に立つと感じられるものだとは限りません。
行きたいと感じない内容だけれど各学校1名は来なさいと言われたから仕方なく行く研修が、その先生の役に立つとは思えません。
毎年行われる校務分掌関連の研修
校務分掌(校内の係)で割り当てられた研修(給食担当の先生なら給食関連の研修、図書館担当の先生なら図書館教育に関する研修、という具合)というものがあります。
続けて同じ校務分掌をしている先生は、昨年と同じような内容の研修を受けることになります。初めてその分掌をする先生もいるので、大切なことは毎年同じでも伝えないといけないのですが、その分掌を何度も経験している先生は、同じことを何度も聞くことになります。
先生が暇なら「ああ、去年も聞いたなあ」と思いながらぼんやりするのも息抜きになるかもしれませんが、先生は忙しいので、わかっている話を聞くより授業をしたり明日の準備をしたりしたいはずです。
研修は先生の資質の向上につながるか
世の中の人は先生が研修をするイコール先生の資質の向上につながると考えると思います。でも先生の資質は一人一人違うので、同じ研修を受けても役に立つ場合とそうでもない場合があります。
「研修=資質の向上である」という考えに立つと、どんな研修でもやることが大事、やらなければだめ、ということになります。
しかし学校の先生(というか専門性のある仕事はすべて)にとって、現場で日々経験を積むことが何よりの研修であって、それ以上の研修はないと思います。
先生が指導の工夫をします。それに対する子どもの反応を見れば良い指導だったかそうでもなかったかは判断できます。研修場所で講師の話を聞くより、子どもの反応の方が勉強になります。
同じ理由で、教員免許更新制は先生の忙しさや負担を増やすだけの愚策でした。先生が自分のお金を払って強制的に研修を受けさせられたのですから。
ゆとり教育もそうですが、行政に愚策があっても誰も反省しないことにイラッとします。教員免許更新制の廃止についても文科省は「発展的解消」なんていう表現をしています。
何それ?です。これは失敗だったので廃止します、現場の先生方に迷惑をかけてすみませんでした、と言ってほしいです。(言うわけないけど)
まとめ
先生にとって役に立たない研修はなくしましょう。自主参加にして、参加人数が少なくても本当にやりたい人で実施すればいいのです。参加希望がゼロならその研修はやる必要がないです。
心からやりたいと思って参加する研修なら役に立ちます。先生たちは学校の現場で、日々子どもたちと向き合いながらたくさんのことを学んでいますから、やりたくもないのに強制的に参加する研修は必要ないです。
教育委員会(行政)の皆さんは、教員の不祥事や教育現場の問題が話題になると、「このようなことがないように、研修を増やして教員の資質の向上に努めます」などと言いがちですが、そういう中身のないポーズはやめてほしいです。
この研修は役に立つ!と教員が思う研修だけをやりましょう。先生たちは忙しいのですから。
若い先生方の研修
次に若い先生方に義務付けられている研修について書きます。
研修することは若い先生にとっては特に大切だと思います。けれどそれが有効なものになっているかどうかは疑問もあります。
みなさんはどう感じておられますか?
初任者研修
近年良くなったと思うのは初任者研修が充実してきたことです。新任教員に専任の指導教員を付けて行うようになりました。
指導教員が新任教員のために指導計画を作って実施していきます。指導教員が新任教員の授業を見てアドバイスをしたり、指導教員の授業を見せたり、管理職や先輩教員の話(教科、学級経営、校務分掌等)を聞く時間を作ったりします。そして実施した研修記録を教育委員会に提出します。
私が初任者だった頃も初任者研修はあり、教育委員会が実施する講習に参加したり管理職に授業を見せたりしました。
でも普段は誰かのアドバイスを受けることもなく、他の先生たちと同じ仕事をしていました。何もかも手探りで訳も分からず、他の先生方も忙しそうで質問するのも難しい中で、初任者講習にも参加しないといけないという状態でした。
ただ、X(旧Twitter)などを見ると、初任者なのに過重な職務を持たされて苦しんでいる先生もいるようです。
私が見ていた最近10年ほどは、中学校で初任者が担任を持ったり部活動の主顧問をしたりする例はありませんでした。
地域や学校の状況によるのかもしれませんが、研修を十分させて初任者の指導力を高めることが初任者研修の目的のはずなので、仕事の負担が多すぎて研修がおろそかになってはいけないと思います。初任者の職務が重すぎないか、教育委員会は確認するべきです。
他にも、指導教員が初任者の指導に向かない人で初任者が気の毒、という場合もあります。
逆に初任者が人として未熟だったり難しい生徒が多い学校だったりすると、指導教員が初任者をフォローするのが大変という場合もあります。まあ、不慣れな初任者を指導するために指導教員がいるのですから、それはしかたがないのかもしれませんが。
〇年研修と呼ばれる研修
初任者以外の先生も何年かおきに研修があります。自治体によって違うと思いますが、教職に就いて○年目の教員が行うと決まっていると思います。
若いうちは管理職や先輩教員に授業を見せたり講話をしてもらったりする研修が含まれますが、年齢が上がると教育委員会が実施する講習を受けることが中心になると思います。
このような研修は正直そこまで役に立つとは思えません。人によって学びたいことが違うはずなのに、みんな揃って同じ講習を受けるのですから。
前も同じようなことを書きましたが、教員は忙しいので役に立たない研修に時間を取らせないでほしいです。本当に学びたいことを学べる研修だけをさせてください。
大切にしたいこと
先生方に大切にしてほしいのは、あてがわれた講習ではなく、日々の仕事の中で先輩教員から学んだり、子どもたちの姿を観察して自分で考えたり、指導のヒントになるような本を読んだりすることです。
中学校だと同じ学年の先生は同じ生徒を見ていますから、有効なアドバイスをもらいやすいです。同じ教科の先生が複数いる場合は、単元の授業をどのように行うかを聞き合うといいです。
先生同士が積極的に交流し合ってよい指導を目指してほしいです。
「今日困ったことがあるから相談したい」「明日の授業をどうしていいか迷うから教えてほしい」といった形の交流は、年間計画で位置付けた校内研究会よりも役に立つことが多いと思います。
だからこそそういう交流ができるゆとりがほしいものです。学校によっては(いや、大部分の学校がそうかも)先輩教員がみんな忙しくて、若い先生が相談しづらいのではないでしょうか。
でも、もしそうなら、子どもたちも先生に話しかけづらいと思います。教員にはゆとりが必要です。
研究授業
研修の1つの核と考えられているのは研究授業です。校内の研究授業と校外の研究授業がありますね。研究授業は見ることの方が多いですが自分が研究授業をすることもあります。
皆さんは研究授業というものをどう考えますか?
校内研の授業
校内研究は校内に研究委員会を設けて、研究委員長の先生が研究主題や課題等を作り、年間に何回の研究会と研究授業をし、誰が授業者(研究授業をする先生)になるか等を提案します。
まずこの研究委員長が大変です。理にかなった提案を作り、みんなに納得してもらえるような研究会を設定し、授業者を決めなければなりません。
教科で先生たちをグループ分けして、今年度はAグループの先生の中から、来年度はBグループの先生の中から授業者を選ぶ、というような決め事を作っている学校は多いと思います。
立候補では決まらないので何らかの順番で決めるわけです。無理に決めないといけないというのは残念ですが、先生たちはみんな忙しいので仕事の負担が増えるのが嫌なのは当然です。転任してきたばかりの先生や若い先生に押し付けるのが当たり前という学校もありました。
私は経験がないですが「本校(この地域)では授業者はいつも立候補で決まります」という学校や地域もあると思います。
それはそれで怖いです。何かしらのプレッシャーがあって立候補せざるを得ない状況があるのでは?と疑ってしまいます。研究授業の授業者になるというのはそのくらい負担が大きいものです。
校外研の授業
校外の研究授業は地域の学校で行います。主に教科別で研究委員長や授業者は地域の学校に順番で回ってくる形が一般的だと思います。
こちらも研究委員長や授業者の大変さは同じです。
昔、中学校の規模が8クラス以上もあった頃なら先生の人数が多いので「今年度〇〇先生は校外研修の授業者だから、校務分掌を減らしましょう」といった配慮もできますが、最近の学校規模では無理です。
そうしてあれもこれもやる、という負担が先生たちにかかるのです。
研究授業の授業者になったら
授業者になったら日常の仕事をこなしながら指導案を考えなければなりません。授業の時期から考えるとこの単元の授業になるな、と見通しを持ちます。(授業の日時は研究委員長が年間の研究計画を立てる際におおよそ決めるので、授業者はそれに合わせます。)
授業者が担任を持っている場合は大抵自分のクラスで授業をします。自分のクラスの子は自分にとって気心が知れているし、ちょっとした時間にアドバイスや励ましが言えるのでやりやすいのです。
中学校の先生でたまに自分のクラス以外で研究授業をする人がいます。見せたい授業の単元が別の学年であるとか、自分のクラスより他のクラスの方が活発で授業が盛り上がるといった理由です。でもそれはもったいないなと思います。
研究授業も子どもにとってはイベントです。自分たちの授業を校長先生や他学年の先生が見に来るのですから。(校外研だとよその学校の先生たちが見に来ます。)
研究授業があることを聞かされた子どもたちは「えー!やだー!」と言います。でも担任が上手く言いくるめるとだんだんその気になって「良い授業を見せてやろうぜ、イエーイ!」という雰囲気にすることができます。
そうなったら普段の授業にも生活にも行事にも良い影響が出ます。授業者は本当に大変ですが、どうせやるならクラスの向上に役立てましょう。
研究授業を成功させるには、やはり準備が大切です。
普段の授業をしながらとか、他の人の授業を見たり他の研究授業の指導案を見たりしたときに、こういう授業ができるかもというヒントを集めるように心がけましょう。授業者になってから焦って考えるのではなく、常日頃から「良い授業」を探すことが大事です。
そんなことは当たり前だと思うでしょうが、仕事に追われていると毎日の仕事をこなすことに必死で、目の前の仕事のことしか考えられなくなります。日々担任が考えなければいけないことは山のようにありますから。
そんな日々の仕事をこなしつつ、良い授業についても頭の片隅に置いて考える時間を取らないと、研究授業を成功させることはできません。
研究授業について思うこと
研究授業なのに準備不足でやっつけ仕事の授業を見せられることがあります。でも私はそれを責める気持ちにはなりません。先生たちが忙しいということはよくわかるからです。
それでも授業後の研究会で、準備不足の点やダメな点を厳しく指摘する先生は結構います。私はしませんが。
不十分な授業を見せることは授業者の先生自身も子どもたちも、見せられた先生たちにとっても残念なことです。研究授業でも普段の授業でも、充実した授業ができることは教員にとって楽しく幸せなことです。
どうせなら準備をしっかりとして、授業者にとっても子どもたちにとってもやって良かったと言える授業にしたいものです。そういう授業は参観した教員にとっても学びの多い授業になります。
しかし、十分な準備をするには先生たちは忙しすぎるのが現実です。準備のしっかりした研究授業が見られたとしたら、その先生は勤務時間をはるかに超えた残業をして準備をしています。
授業の向上について考える時間、授業の準備を十分にできる時間が先生たちには必要です。そういうゆとりのある勤務ができるようにしてほしいものです。
研究授業の参観
研究授業では授業者の授業を見せてもらいます。せっかくやる研修なので役に立つものであってほしいですが、時間がかかる割に、実のあるものと感じられないのが残念です。
今回は研究授業の参観をすることについての課題を書きます。
研究授業の参観は役に立つのか?
研究授業の授業者になると、すごく色々なことを考えて準備をしないといけません。だから授業者にとっては勉強になると思います。
しかし授業を見る側はというと、そこまで勉強になるとは思えません。指導案を見れば授業の進め方はわかるので、それで自分の勉強はほとんど終わってしまいます。
もちろん授業を見ると、授業を進めていく中で生徒がどう反応するかを見ることができるので、それは勉強にはなります。
ただ若い先生なら「へえ、こういう反応をするんだ」と新鮮に感じられると思いますが、年を取るとほぼ予想通りの反応なので「なるほど」と思うだけです。
時には意外な反応もありますが、なぜ意外な反応になったのかは大抵謎のままで終わります。おそらくその授業以前の授業で何をしたかが関係していると思われます。
授業後の研究会で質問すればいいのかもしれませんが、研究会の本筋と関係のない質問になりそうな場合はできません。
たまに「こういう発問だと生徒はよい反応をするんだ」と感心することがあるので、それは参考にします。ただ、自分が教えているクラスでも同じ反応をしてくれるかどうかは微妙なので、少し参考になる程度です。
少ししか参考にならない授業を50分間見るのは苦痛ですが、このあと授業研究会があるので、もしそこで発言することになったら何を話すかを考えます。正直、50分間ほぼそのことを考えています。
研究授業を見る視点
研究授業を見るときは必ず褒めることを見つけます。できれば生徒の名前を言いながら発言したいので、生徒の名前をメモしたりもします。
「〇〇さん(生徒の名前)の発言がきっかけで話し合いが深まりました」とか「〇〇さん(生徒の名前)のまとめは授業の目標を的確に表していたと思います。」とか言ってあげると良いですが、こうした子どもの良い姿は他の参観者も気付いて発言することが多いので、他にも探しておかないと発言のネタが尽きます。
だから子どもがグループ交流(最近の授業ではグループで話し合う活動を入れていることが多い)をするときにどこかのグループにくっついて、そこで良さを見つけます。
グループ交流の時間は授業者だけでは生徒の動きを把握しきれないので、参観者が生徒の良さを見つけて発言すると研究会の場が和やかになりますし、授業者も喜んでくれます。
例えば「グループの司会役の○○さんが△△さんの意見を取り上げてグループの人たちにどう思うか問い返していたことに感心した」とか「○○さんが仲間の意見と自分の意見を比べながら発言していた」といった、細かい良さを伝えられると良いと思います。
実際は課題点にも気付きますが「○○さんが何も考えを書けなかった」とか「○○さんが話の腰を折る発言をしがちだった」のようなことは気付いても言いたくはないです。
そんなことは生徒個人の能力の問題なので、授業研究会の場で指摘することではないと思います。課題点を指摘するとしたら、授業者や参観者が教員として学べることにしたいものです。
例えば課題点には、より良くなる提案も添えて伝えられるといいです。
「考えを書けない子がいたようなので、~という指示を付け加えると良かったかもしれません」
「授業のねらいは~なので、ねらいに沿ったまとめが書きやすくなるように、まとめの前の発問は~とすると良いと思いました」
こうした具体的な提案をするようにします。
研究授業の参観は勉強になるのか
さて、これまで述べたことから「なるほど、授業を参観すると色々考えられて勉強になりますね」と思う人がいるかもしれません。でも研究会で発言することは既に自分がわかっていることであって、新たに学んだわけではありません。
自分がわかっていることを確認するだけなら早く帰りたいです。もしくは指導案だけ読ませてもらって参考にしたいです。指導案を読むだけなら5分でできるので効率的です。
自分の学校で研究会をするときは、5時間目を研究授業にして研究授業のクラス以外は自習にしていることが多かったです。授業が終わったら全校生徒を下校させて授業研究会を行いました。
地域の学校で行う校外研修だと、授業を見せるクラス以外の生徒は給食後に下校させ、同じ教科の先生が研究授業をする学校に集まります。普段の学校生活を大きく変更し、午後の時間を全部使います。
授業をする以外のクラスの子は、普段なら授業をする時間を自習にしたり下校したりしているわけで、ある意味彼らの授業時間を奪っているとも言えます。
「研究授業は勉強になる」と年上の先生方はおっしゃっていましたが、私は「時間と労力が半端ない割に得るものはそれほどでもない」と思っていました。
授業者はできる限りの準備をして授業をします。(やっつけ仕事の授業を見せられることもありますが。)けれど授業者が準備すればするほど参観者は「授業者は頑張った。でも普段の授業でそんな準備は無理」と内心思っています。
どの先生も簡単に真似ができて、なおかつ生徒が生き生きとして力を付けられる素晴らしい授業が提案されるといいのですが、そういう授業を見ることは稀です。
研究授業の参観についての課題
研究授業をすることは準備も含めてとても勉強になります。ただ、確実に勤務時間以外の時間を使います。
そして研究授業を参観する人にとってはそこまで勉強になりません。研究授業をしてくれた人に役に立つような意見を、できるだけ考えて伝えるだけですから。
授業者の先生はもちろん、指導案に助言したり事前の研究会を行ったりする先生たちの時間もかなり使いますが、その割に学ぶ内容は少ないです。
研究授業のために使う時間を色々な指導案や教育書を読む時間に当てた方が効率的に学べると思います。
授業研究会について①
授業研究会には大抵指導者の先生(教育委員会の指導主事とかどこかの学校の校長とか教頭)が来てご指導を受けます。司会は研究委員長とか研究委員会の誰かがします。
皆さんが経験している授業研究会はどんな感じですか?私が経験してきた授業研究会について書きます。
授業研究会の基本的なパターン
最初に研究委員長が開会を宣言して指導者の先生を紹介します。次に研究のねらいや研究会の進め方を説明します。その後授業者が授業の反省を自分なりに話します。
授業の反省は手短に話すのが普通ですしそれが望ましいです。でも、授業者が自分の授業がいまいちだったと感じるのか、言い訳がましく何やらの準備が足りなかったとか、生徒の反応が予想と違ったとか、ダラダラ喋ることがあります。
あれはやめたほうがいいです。潔くまな板の上の鯉になる方が好感が持てます。
次に授業者への質問の時間、それから授業についての意見交流の時間と続き、最後に指導者の先生からのご指導があり、学校長が締めの話をし、司会者が授業者をねぎらってみんなで拍手して終わります。
これが私が経験してきた授業研究会のおおよそのパターンです。
授業についての意見交流
研究会で中心になるのはもちろん授業についての意見交流の時間です。このとき意見が出ないのは気まずいので頑張って早めに発言すると良いです。そのために授業参観中に一生懸命意見を考えたのです。
他の人がどんどん発言して、自分が考えていたことを先に言われるとドキドキします。時間が余ると司会者が「まだ発言していない方はお願いします」などと言い出す可能性があるからです。
話し合いの終盤で挙手して、これまで出た発言を引用し、まとめながら意見を言う先生がたまにいます。頭の良い人だなと感心します。他の先生に感心してほしい人はそういう発言を目指しましょう。そういう人は将来出世しそうです。(私個人のイメージですけど)
昔の授業研究会は今より酷かった
無事に多くの発言があり、指導者の先生や校長の話になれば後は話を聞くだけですが、昔、授業研究会の意見交流で意見が出なさ過ぎて、指導者の先生や校長に「やる気ないのか!」とキレられたことがありました。
まあ、随分昔の話です。最近はそういうことはありません。昔の先生より今の先生の方が真面目で優秀だからだと私は思っています。
昔は「研究会で発言なんてするかよ。めんどくせー」みたいな態度を平気でする先生がいました。校外研修だとサボって帰ってしまう先生すらいました。
そういうことがないようにということだと思いますが、いつからか参加者名簿が作られ、参加者の出欠確認をするようになりました。
そこまで有益な会だと言えるのか疑わしいので、サボる気持ちも若干はわかります。でもその研究授業や研究会のために長期に渡って準備をしてきた人がいることを考えると、サボるというのは人としてどうかと思います。
研修は強制であってほしくない
ただそうやって(参加の出欠確認をするなど)研修が「強制」になっていくのは残念ではあります。研修は教員の資質の向上のためのものですから「役に立つ、参加する意味のある研修」に自主的に参加することが望ましいです。
参加が強制になっているのは「これだけの研修をやっています!」と世間に示すためだからでしょう。先生方は忙しいので、身にならない研修に時間を使うのは避けたいですけどね。
授業研究会について②
私が経験した最近の授業研究会は授業者の苦労を理解して、良かった点を学ぼうという雰囲気が強かったですが、どの地域の学校もそういう傾向でしょうか。引き続き授業研究会について書きます。
意見交流の進め方あれこれ
授業についての意見交流は自由に感想を述べていくパターンが一番多かったですが、ひと工夫したものも経験しました。
発言が不活発にならないように、先生たちを小グループに分けてグループで話し合い、代表の先生が話し合ったことをまとめて発表する、という方法がありました。小グループでの話し合いは授業で子供たちにもさせることが多くなりましたが、確かに発言がしやすいです。
ただこの方法はまとめて発表する人が大変ですし、まとめ方が下手だとせっかく話し合ったことが台無しみたいになるので、そこは欠点です。
逆に研究委員長が小難しく話し合いの視点を示して「この視点とこの視点に関わらせた発言をお願いします」などと言って参加者が困る、というパターンもありました。
授業を見ながら意見交流で何を話そうかと考えていた参加者は「この視点」と限定されるとどう言っていいかわからなくなります。研究なのでねらいや視点は大事ですが、そこまで考えながら授業を見ていないことが多いので、ほとんどの先生が沈黙することになります。
数人の先生が考えを絞り出して発言した後、話し合いが止まってしまいます。これは気まずいです。
授業でも先生が難しい指示を出してしまって子どもたちの発言が止まってしまうことがあります。授業でも研究会でもこの状況は避けたいものです。
意見交流で不快なこと
たまにすごく嫌な雰囲気になる研究会があります。授業がいまいちだったせいではありますが、鬼の首を取ったように授業の欠点だけをあげつらうのは酷いと思います。
授業者は授業を見せるという大変なことを引き受けているのに、見ているだけの人が偉そうな批判をするのは不快です。良かった点を伝え、良くなかった点は改善点を提案していく、という発言を心がけてほしいものです。
これもたまにあることですが、教育長とか自分の学校の校長とか教育委員会の主事といった人の名前を挙げて、○○先生がこう言っていたからこうすべき、みたいなことを言う人がいました。
そういう人の名前を挙げることが説得力に繋がると思っていることにも、絶対的な権威みたいに言うことにもドン引きします。こうすべき、は子どもたちにとってより良いと誰もが思う提案なら納得しますが、それ以外は不快です。
それから「学習指導要領ではこうなので……」という言う方をする人が近年増えてきました。(私の地域だけかもしれませんが。)勉強になってありがたいですが、それがバイブルでそこから少しでも外れるのはダメみたいに言われると、それはそれで大事だが子どもにとってはどうなの?と思ってしまいます。
研究授業を考えるときに大切にしたいこと
子どもたちが生き生きと取り組み、よく考えて自分たちなりの学びをしていたなら、その授業は100点だと思います。それ以外のことは付け足しみたいなものです。
研究会で色々な提案があるのは悪いことではないですが、若い先生方が「どういう授業を目指すべきか」を迷ってしまうのは良くないと感じます。
研究授業の授業者になると、授業研究会であれもこれも指摘されるかもと考え過ぎて、自分がやってみたい授業ではなく、誰からも欠点を指摘されない授業にしなければ、と思ってしまうことがあります。
授業前の研究会(指導案を見せて意見をもらう会)でも、指導案の文章表現やら授業の構成、発問や指示の一つ一つについて多数の欠点を指摘され、不安になってしまい、当日の授業にも自信を持って臨めず、結局何がしたいのかはっきりしない授業になってしまうことがあります。
正直、授業について他人が指摘することの大部分はどっちでもいいことです。良いことは取り入れるとして、自分の考えを大事にした授業をするのだという信念を持ちましょう。
自分の授業に対して指摘を受けても、これは大事なことだ、これは話半分で聞こう、これはスルーで大丈夫、と取捨選択しましょう。この取捨選択ができるようになることが、経験を積むということだと言って良い気がします。
上手く取捨選択できなくて自信をなくすこともあるかもしれませんが、様々な助言より目の前の子どもたちはどうなのか、この発問や指示を理解できるのか、この授業でねらう力を付けられるのかを第一に考えましょう。
そして子どもたちが楽しくわかる授業を目指してください。大切にすべきなのは理屈ではなく、子どもたちですから。
研修の改善
教員の研修について思うことを述べてきました。最後にこんなふうに改善したら?と思うことを書きます。実現できるかどうかはわかりませんが、参考にしてもらえると嬉しいです。
押し付けの研修をやめる
一番思うことは研修を減らした方が良いということです。個々の先生方は指導力も興味も持ち味も違います。必要な研修は個々に違います。それなのに先生を一つの場所に集めて同じ内容の研修をするのは非効率的です。
先生たちが暇なら非効率的な研修も気分転換になって良いかもしれませんが、先生たちはたくさん仕事があって忙しいのです。非効率的な研修はストレスになるだけで役に立ちません。
先生方は目の前の子どもたちの指導をどうしたら良いか、日々考え工夫しています。それに勝る研修はありません。日々の研修の結果は子どもたちが姿で示してくれます。子どもたちが楽しそうに生き生きと学び、生活できているかどうかが先生たちにとっての評価です。
研究授業もしなくて良いと思います。研究授業は準備をするのに時間がかかり過ぎるので非効率的です。
研究授業では、一回の授業のために時間をかけて指導案を書き、特別な教材や資料を作るなどして見栄えの良い授業になるように努力し、色々な人の助言を受けて指導案を直し、大勢の人に授業を見せ、大勢の人で授業について検討します。
こんなふうに労力を使っても一時間分の授業が改善するだけです。しかも授業後の研究会で交流した結果、改善すべきところがたくさん出てきたとしたら、あの準備の時間は何だったのかと思います。
時間がもったいないです。その時間に他の仕事ができただろうと思います。
授業を改善したいなら教科の先生で集まって、あの単元のあの時間の授業ってどういうふうにやりますか?と聞き合えばとりあえず十分でしょう。同じ教科の先生同士なら短時間の話し合いで授業の流し方を理解し合えると思います。
一時間の研究授業に延々と時間をかけるより、たくさんの授業について短時間で確認し合う方が効率的で有益です。校外研修も1時間の研究授業をみんなで見るより、小グループで「あの単元のあの時間の授業はどうやりますか?」と聞き合う会にすれば良いと思います。
指導主事にやってほしいこと
教育委員会の指導主事の先生方は講習の企画をしたり研究授業の指導をしに来たりされますが、それをやめてもっと効率的で実用的な研修をしてほしいです。
例えば教科の研修なら、教えるのに苦労する単元を先生たちにアンケートで聞いて、アンケートで多かった単元のうちの幾つかの授業の展開案を指導主事が作って配布してほしいです。
これは全員の先生にとってとても参考になりますし、先生たちが必要なときに個々に読めるので時間も有効に使えます。
学校の先生方の中には授業の指導案は自分で一から作らないと意味がないという考えがありますが、これは非効率的な考えです。何でもそうですが、叩き台になるものがあった方が効率的により良いものができます。指導主事の先生が作った展開案なら信頼できますし、自分のクラスに合ったものに直せばより良い授業ができます。
校務分掌に関わる研修も同じように行うことができると思います。その仕事についての悩みや困りごとをアンケートで聞き、指導主事がアドバイスを配布すると良いです。
指導主事の教えを直接乞いたい先生に指導をする、といった研修も企画してもらえると良いです。先生方は仕事が多すぎて授業や校務分掌の改善について考える時間がなくて困っています。
特に学校の規模が小さく同じ教科の先生がいない場合や経験の浅い先生が多い学校だと、頼れる人が少ないのです。直接の相談を希望する先生はそれほど多くないかもしれませんが、本当に研修を必要としている人が参加すると思います。
本音を言うと、指導主事の先生方は優秀な先生ですから、教育委員会にいるより現場で活躍してほしいです。研修のための講習の企画とか研究授業の指導とかやらなくていいので、困難を抱えている学校に行って手伝ってあげてほしいです。
最後に
さて、実現できるかどうかわからないことを書きましたが、誰かがこのしがないブログを偶然読んで、これは参考になるかもと思ってくれたら嬉しいです。
研修というのは研修があるから仕方なくやるというものであってはならないです。そんな研修ならやめるべきだと思います。
先生たちの心や時間にゆとりがあって「よし時間があるから勉強しよう」と思って教育書に手を伸ばす、というのが本当だと思います。ゆとりが必要です。
コメント