教育にまつわる雑感集「暗記は必要ない?」等3話

雑感

暗記は必要ない? 

 教育に関わって日頃思っていることを書こうと思います。

 暗記と言うと、詰め込み教育とか思考力を付けていないとか言われて批判される傾向があるようですが、果たしてそうでしょうか?という話をします。

ネット検索と脳内検索

 インターネットが発達し、知識は簡単に検索することができます。だから暗記は必要ない、と言う人もいますが、それはないと思います。検索して取り出す知識と頭の中にある知識は違います。

 頭の中にある知識同士は頭の中で瞬時に関連付けることができます。検索して取り出した知識と知識を関連付けて考えるには、2つの知識をそれぞれ頭の中でまず理解して、それから関連付ける必要があります。元々頭の中にある知識と今調べた知識を関連させることは、それよりずっとスピーディーにできます。

 私たちが電卓なしで桁数の多い数字の掛け算をするとき筆算をすることが多いと思いますが、筆算のやり方と九九の両方が頭に入っているのでスムーズにできます。筆算のやり方もしくは九九のどちらかが頭に入っていないとしたら、それを調べてから計算するのは結構な時間がかかるでしょう。

 時代劇を見て人物の心情に共感できる人はその時代をある程度理解しています。そうでないと現代との服装や言葉遣いの違いなどばかりが気になって、人物に共感するどころではないと思います。

 挙げた例が適切だったかどうかはわかりませんが、頭の中に知識がないと人は正しくスムーズに思考することができません。

知識の詰め込みは必要です

 知識を詰め込む教育が問題になることがありますが、小中学校では知識の詰め込みはある程度必要だと思います。

 小学校の英語は遊びを通して学ぶ、という考えには首をかしげます。英会話ができるようにしたいなら、例文と単語を日本語の意味と共に暗記させた方が良いと思います。九九や漢字は有無を言わさず覚えさせるのに、英語は遊びで自然に身に付くと思える根拠は何なのでしょう。

 私がこうして文章を書けるのは、日本語の語彙が頭の中に詰まっている(=暗記できている)からです。私は日本語を自然に覚えましたが、それは赤ん坊の頃からずっと日本語の中で育ち、日本語を使い続けているからです。

 日本人で英語を自然に覚える環境の中で育つ人がいるとしたら、親が英語を話す人くらいでしょう。大多数の日本人は暗記をしなければ英語を覚えることはできないと思います。遊びを取り入れて楽しく学ぶ、と言うならわかりますが、暗記ではなく遊びを通して学ぶ、と言うのは無理だと思います。

探求学習と暗記学習の割合は?

 総合学習が始まってから小学校でも探求を大事にした学習が重視されるようになりました。総合学習ではインタビューをしたり、アンケートを取ったり、本やインターネットで調べたりして考えをまとめ、画用紙や模造紙などに調べたことや考えたことをまとめて発表する、といった学習をしています。

 それ自体は良いことだと思いますが、探求学習をすべて自分の頭で考えてできる子は小学生にはいません。大部分の子は先生が教える手順に従って、指示されたように行っていくと思います。何をどうしていいかわからず、先生や仲間にたくさん手伝ってもらって、形だけ発表する子もいるでしょう。

 小学生に探求学習をさせておいて、勉強が得意な高校生には大学受験に備えた暗記学習をさせているのですから「逆だな」と思います。小学生には暗記を、高校生には探求学習をさせたいものです。

 誤解してもらっては困りますが、小学生には探求学習は不要で暗記だけさせれば良いと言っているわけではありません。小学生は「暗記>探求学習」、高校生は「暗記<探求学習」が望ましいと思う、と言いたいのです。

 そのためには大学入試や高校の授業を大きく改革必要があると思いますが、それはわかった上での理想です。高校生は小中学校で多くの知識を蓄えているのですから、それを生かせばとても良い探求学習ができると思います。高校で行った探求学習の経験を生かせば、大学の勉強もより高度にできるのではないかと思うのです。

まとめ

 結論としては「暗記は必要」です。頭の中に知識があることは思考のために絶対必要です。小学生のうちにたくさんの知識を頭に入れることは、それ以降の学習にとても役立ちます。暗記をおろそかにしてはいけません。

 詰め込み教育は良くないと言って暗記することを軽んじるのは子どものためにはならないと思います。考え直してほしいところです。

少子化は日本人の考え方が原因では?

 少子高齢化が問題と言われて久しいです。政府の少子化対策もあまり魅力的でなく、効果を期待できない感じがしますが、国民全体の考え方にも原因があるんじゃないかと思います。

日本の若い女性の考え方

 ワイドショーで政府の少子化対策について放送していました。最後にコメンテーター席に座っていた若いママタレントに話が振られました。彼女は「小さい子を育てていると家事ができなくて大変なんです。家事の支援があればうれしいです」と話しました。

 私は「若い女性がこういう考えを持つ世の中だから少子化が進むのかもなあ」と思いました。日本の女性は真面目過ぎるのです。家事などやらなくていいのです。究極。

 Xでこういうポストを読みました。

 “保育相談があったので1歳の子を連れて行きました。「この子がいると家の片付けもできなくて辛くなります」と私が言うと、年配の保健婦さんは「家の片付けなんて老人になってからやればいいのよ!」と言ってくれました。何だか気持ちが楽になりました。”

 リプ欄には保健婦さんを称賛する声が溢れていました。

完璧を求めすぎると子育ては辛い

 日本人は教育(学校だけでなく家庭、社会含む)がしっかりしすぎているせいなのか、すごく真面目です。完璧にやらなきゃいけないと思っているんですよね。だから仕事と家事と子育てを両立するのは私には無理、結婚するのも子どもを産むのも不安、となってしまうのかもしれません。

 家の中が散らかっていたって死にはしないし、食事だって日本には便利なものがいっぱいあるからどんどん利用すればいいのです。

 スーパーやコンビニの総菜、レトルト、冷凍食品、外食、宅配等がありますし、お金が足りないときは、白菜と豚小間肉とゆでうどんをめんつゆで煮た鍋を食べればいいんです。これなら安いし誰でも簡単に作れるし、栄養バランスもまあまあ良いです。

 これもXで話題になっていたことですが、“家で冷凍ギョーザを出したら子どもはおいしいと言ったけど、旦那が「これは冷凍だから手抜き」と言った。”というのです。リプ欄は賛否両論がありましたが、あるとき冷凍食品の有名メーカーの担当者が「冷凍ギョーザは手抜きではなく手間抜きです」とツイートして称賛を浴びました。

 日本には手間がかかる、イコール愛情、みたいな風潮がありますが、そうやって自分たちの首を絞めるのはもうやめたいものです。食品メーカーは便利な商品を開発する努力をしてくれています。食品以外でも、便利な家電を作って家事を楽にしてくれ、100均の店では便利なグッズが安く買えます。

 そうした商品をありがたく購入して、少しでも楽をしながら楽しく子育てをするのが自分のためですし、国のためです。国民がそういう考えにならないと経済も回らないし、少子化も止まらないと思います。

 若い男性が「ギョーザは手作りじゃないとおいしくない」などと頭の固いことを言っているようでは、日本の未来は暗いでしょう。

学校現場に思いを馳せて

 学校教育もそうで、あれもこれも子どものために良いことだからやらなくては、ではなく、先生が大変だからやめましょう、という環境にしていくべきです。

 日本人の責任感の強さは美徳ですし、お互いに頑張ろうという気持ちが日本を発展させてきたということに、異論はありません。でも「もっと楽して楽しくやろう」という考えも持った方がいいです。残業しなければこなしきれない仕事を常に抱えている職場というのは、余裕がなさすぎて危険です。

 そういえば女性の先生は独身の方が多いような……。頑張り過ぎて結婚どころじゃないから?……もう少し手を抜いた方がいいですね。

気楽に行きましょう

 ちびまる子ちゃんの第1話(アニメじゃなくて漫画の)は、1学期の終業式の日の帰り道の話です。まるちゃんは計画的に持ち帰らなかったせいで学校の荷物を山ほど持って歩いている、という場面から始まります。

 長期休みの前の荷物の持ち帰り。皆さんはどのように指導されていますか?

先生たちが共通理解すると良いこと

 現役の頃、夏休みの1週間前くらいにこのちびまる子ちゃんのエピソードを紹介して、持ち物を計画的に持ち帰ろうと話したことが何回かありました。

 それに関連してこんなことも思い出しました。明日から夏休みという日の放課後の昇降口で、昨年度担任していた子が話しかけてきました。

「ニーナ先生は荷物の持ち帰りのことを言ってくれたからちょっとずつ持ち帰れたけど、A先生(今の担任)は言ってくれないから、見て!こんなに荷物がある!」と、たくさんの荷物を見せてくれました。

「あはは、大変だね。気を付けて帰ってね」と声をかけます。

 そのときは「あれ?学年で荷物の持ち帰りのことは何度か話していた気がするけど、A先生は聞いていなかったのかな?」と内心思いました。

 A先生はご家族の関係で退校が早いので、話題の輪にいなかったかもと思いました。学年主任になったとき、担任全員に伝えることを心掛けたいと思ったのはこういうことがあるからです。

どちらでもいいこと

 でも今思うと、あの子は去年私が言ったことを思い出さなかったんだな、とも思います。A先生に言われなくても「夏休み前だから少しずつ荷物を持ち帰ろう」と考えられると良かったです。

「A先生は言ってくれないから……」は責任転嫁です。あの子自身が気付いて少しづつ荷物を持ち帰るべきだったでしょう。

 そうなると教師が親切に言い過ぎるのは良いのか悪いのか、ということも考えます。気付いて細かく指示する先生は「見落としがなくてありがたい」かもしれませんが、細かく指示しない先生の方が「自分で考えて判断する力が付く」のかもしれません。

 これを逆に考えると、細かく指示する先生は「指示が多いから自主性が育たない」、指示しない先生は「指示してくれないからきちんとできなくて困る」とも言えます。

 どちらの先生も一長一短あるわけで、どちらかが100%正しいとは言えないわけです。

結論

 教育というのはこういうことがけっこうあります。一つのやり方が最善なのかどうかはわからないです。

 より良い方法を考えることは大切ですが、割り切って気楽に考えて良い場合も、案外多いと思います。

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